お久しぶりです!ブログを再開します。 

最近はFBやTwitterに投稿をしてて、ブログはあまり書いていませんでした。

しかし、原点に戻って、自分の思いなど書いてみようと思います。

私は昨年の参議院議員選挙に出馬しました。

参政党の公認候補になり、居住していない大分選挙区での出馬です。大分支部の皆様には本当によくしていただき、全くの落下さんだったにもかかわらず、21723票という皆様の思いをいただきました。

ありがとうございました。

なぜ、参政党なのか。理由は簡単です。掲げている3つの柱に賛同したからです。

参政党の3つの柱は 教育 食と健康 国のまもりの3つです。

今回はこの中の教育について少し書いてみます。

私は元小学校の教師です。10年以上の経験があります。

正直言うと、子どもの時から、学校はあまり好きでは有ませんでした。ただ、不登校になるほどでもなかったし、家でゴロゴロしてたら、学校以上に母がうるさいのもわかっていたので、「学校の方がマシ」みたいな感じで、学校に行ってました。中学校までは成績もよかったです。理由は簡単。成績がいいとうるさい母親も褒めてくれるので、勉強してた、って感じです。

にもかかわらずどうして、学校の教師になったのか?

これは運命でした。受験した大学が全部落ちて…笑笑

福岡教育大学のみ合格したのです。母に子育て後に仕事ができる資格は薬剤師がいいと言われ、薬学部をいくつか受けたけど、しっかり不合格。最後にダメ元で受験した教育大のみ合格。

教師なんかなる気もないのに…

母は浪人するの?って言ってくれたけど、正直、浪人して母にうるさく言われるのも面倒だったので、まぁ、卒業する時に教師になるかどうか考えよう、って思って、大学に入学しました。

学生生活は楽しかったです。親元も離れ、好き勝手に暮らしてましたので、食生活も乱れました。それが、のちの不妊症につながるのですが、その時はそんなことは考えもしてませんでした。

卒業の時、教師じゃない仕事はないか?と探しましたが、当時は「教育大なら先生になるのが一番ですよ」と一般企業では相手にされませんでした。しかも、当時は大量採用時代。教師以外の職業になりたい、という私は変わり者と思われてました。一応、1年間は講師として浪人し、翌年、仕方なく…採用試験を受け、正規の教諭になりました。

学生時代に感じていた違和感がありました。

それは教育の目的です。国家はどんな人材を目指しているのか?という思いがあり、学生時代も一生懸命調べました。まだ、ネットもない時代です。分かったのは、産業界に対応できる人材を育てるのが目的だ、と言うことぐらいでした。私も周りの友人たちも、とりあえず、採用試験に受かって、教師になればいい、単位をいかに要領良く取るのか、そればかり考えてた気がします。

それから、40年後に参政党に出会った時、国家観や歴史観の教育ができていないということに気が付き、やっと当時の違和感の原因がわかった気がしました。

教育で教えていないのです。

学校現場では、愛国心というだけで「右翼」と言われ、君が代、日の丸(国旗国歌法ができる前です)を卒業式で掲げるかということで、複数回の職員会議が開かれていました。

今日はここまで。

続きはまた、かきますね。最後まで読んでくださってありがとうございます。

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